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名古屋地方裁判所 昭和36年(ワ)1864号 判決 1963年5月30日

原告 入谷規一

被告 株式会社東海銀行

主文

被告は、原告に対し、金四十六万四千六百三円及びこれに対する昭和三十六年十一月十二日から、支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、原告において金十五万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

原告は主文第一、二項同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、請求の原因として、

一、破産者株式会社野村浴巾商店(以下単に破産会社と略称する)は、中部タオル卸商組合の代理荷扱業務ならびに繊維製品の販売業を営んでいたところ、昭和三十五年三月十四日支払を停止し、同年六月十四日午前十時名古屋地方裁判所において、破産の宣告を受け、同日、原告はその破産管財人に選任せられた。

二、被告は、破産会社が支払を停止したる後、別紙目録<省略>第一欄記載の受入日に、破産会社の当座に対し、同目録第二欄記載の金員が同目録第三欄記載の破産会社の取引先より払込まれたので、破産会社に対し同額の債務を負担することとなつた。ところで被告は、破産会社に対し手形貸付債権を有していたのであるが、右債権は、特約により破産会社の不渡手形発生により、期限の利益を喪失し、弁済期が到来していたのである。そこで、被告は右債権をもつて、右のごとき支払停止ありたることを知りながら、同目録第四欄記載の各日に、前記債務と対等額で相殺した。

三、然しながら、右相殺は、被告が、破産会社の支払停止後に、支払停止を知りながら債務を負担し、之をもつて相殺の用に供したものであるから、破産法第百四条第三号の趣旨を類推し、同条第一号を拡張解釈し、右の如き相殺は禁止されており、無効と解すべきものである。

四、仮りに、右相殺が相殺制限の規定に反しないとしても、右のごとき相殺は、支払停止後において、これを知りながら債務を消滅させることであり、破産法第七十二条第二号(又は同条第四号)の「債務の消滅に関する行為」にあたるから、これを本訴において否認する。

五、そこで、いずれにしても、原告の前記当座預金債権は残存していることとなるから、被告は原告に対し、金四十六万四千六百三円およびこれに対する訴状送達の翌日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払をなす義務があるから、この支払を求める。

と述べ、被告の答弁に対し、被告の法律上の見解は争う、と答えた。

被告訴訟代理人は、原告の請求は棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求め、答弁として、

一、原告請求の原因事実中第一項第二項は認めるも、その余の法律上の見解は争う。

二、本件相殺には破産法第百四条の相殺禁止の規定の適用がない。勿論破産法第百四条第一号は支払停止又は破産申立ありたる場合のいわゆる危機時期にまで拡張して解釈する必要あることは認めるが、之を拡張解釈するに当つては、同条第三号但書の趣旨も類推さるべきである。即ち同但書が「但シ其ノ取得カ法定ノ原因ニ基クトキ、債務者カ支払ノ停止若ハ破産ノ申立アリタルコトヲ知リタル時ヨリ前ニ生シタル原因ニ基クトキ又ハ破産宣告ノ時ヨリ一年前ニ生シタル原因ニ基クトキハ此ノ限ニ在ラス」と規定しているのは、破産債権の取得が自己の意思に基づかない時や、破産宣告との関係が稀薄となる時には、相殺禁止の規定にふれず、破産法第九十八条の原則にかえることを示したものに外ならない。破産法第百四条第一号を危機時期にまで拡張するに当つて当然右趣旨は考慮せらるべきである。従つて、本件債務負担のごとく、破産者の取引先たる訴外者からの振込みにより、破産会社や被告の意思や行為とは無関係に且つ無償で行われた場合には、仮にそれがいわゆる危機時期に行われたとしても、破産法第百四条第一号の適用を受けず、相殺は許されて然るべきである。

三、原告は、被告がなした相殺を否認するというが、相殺は、被告の債権者としての権利行為であり、且つこれに関し債務者たる破産会社の債務消滅に関する行為又は準ずべき行為は全く存しない。そもそも否認というのは破産者の行為によつて生じた行為の効果の否定を目的とするものであり、相殺という何等債務者の行為を要しない債権者の形成権の否認を認めるならば破産法第九十八条以下の相殺権に関する破産法の規定は無意味の規定となり、殊に同法第百四条をもつて、相殺制限を加える必要も全く存しなくなるのである。判例が相殺をもつて、いわゆる異形償却または変形弁済の一種として、否認の対象と認めている場合でも、それは相殺者、即ち、破産者の債務者が他の債権者を害することを知りながら破産債権を取得して相殺をなす場合に関するものであるから、かかる判例があるからといつて、相殺は、どのような場合でも、否認の対象となると論ずるのは、正当でない。本件の場合、被告の預金債務負担は、それ自体、何等他の債権者を害する場合に当らないから否認の対象とならないというべきである。

四、仮に、相殺が有効でも否認できるとするなら、破産法第百四条に反しないかぎり、被告は、いつでも相殺できるのであるから、昭和三十七年十二月二十日本訴において、本件債務につき、前記破産会社に対する債権を以つて相殺の意思表示をする。

と述べた。

理由

破産会社は中部タオル卸商組合の代理荷扱ならびに繊維製品の販売業を営んでいたが、昭和三十五年三月十四日、支払を停止し、同年六月十四日午前十時、名古屋地方裁判所に於て、破産の宣告を受け、同日、原告はその破産管財人に選任せられたこと、被告は、破産会社が支払を停止したる後、別紙目録第一欄記載の受入日に、破産会社当座へ同目録第二欄記載の金員が、同目録第三欄記載の破産会社の取引先から払込まれたため破産会社に対し、同額の債務を負担するに至つたこと、被告は破産会社に対して手形貸付債権を有していたが、右債権は特約により、破産会社の不渡手形発生により期限の利益を喪失し、弁済期が到来していたこと、被告が、原告主張のごとき右手形貸付金債権をもつて、右のごとき支払停止ありたることを知りながら、同目録第四欄記載の各日に、右債務と、対等額において相殺したことは当事者間に争いがない。

そこで、まず、本件相殺が、破産法第百四条の相殺制限の規定に反しないかについて考察する。

破産者の債権者が、支払停止又は破産の申立があつたことを知りながら、破産者に債務を負担した場合に、これを相殺の用に供しうるかについて、破産法上直接の明文はない。しかし、まだ破産宣告はなくとも、破産債権は、支払停止により実質的価値は下落しているのであるから、破産財団に対し完全に弁済さるべき破産者に対する債務との間に相殺を許せば、その債権者のみ、完全な満足をうるに至り、破産法の目的とする「破産債権者間の平等的比例弁済の原則」に反することは明白である。破産法第百四条第三号が、破産債権の取得による相殺につき、同条第二号の「破産宣告後」を「支払停止」「破産の申立」時期まで遡らせている趣旨を類推解釈し、同条第一号の場合にも之を拡張解釈して、やはり本件のごとき支払停止後における債務負担による相殺も禁止されており、無効であると解すべきである。

被告は、この場合、破産法第百四条第一号を拡張解釈するに当つては、同条第三号但書の趣旨を類推し、その程度の制限を付して解釈すべきであると主張する。因より、破産法第百四条第一号の拡張解釈に当つては、被告主張の如き考慮は当然払わるべきであろう。然しながら、本件の場合、被告が債務を負担したのは破産者の取引先から破産者の口座に振込まれたことによること前記の如くであるとしても、之をもつて、破産法第百四条第三号但書に所謂「法定ノ原因ニ基クトキ」ということができず、又其の他の同但書所定の事項に該当する旨の立証もないから、被告のなした相殺は、無効であるというべきである。

既に被告のなした相殺が、無効である以上、被告に対する原告の当座預金債権はなお残存すること明であり、破産者(本件の場合は破産管財人)は、何時にても之の返還を求め得るものである。そして、原告は破産法上の否認権を行使すると共に、本件訴状を以つて右預金の請求をなしていることは記録上明らかであるから、被告はこの時から遅滞の責を負うものというべきである。

そこで、その余の争点につき判断するまでもなく、被告は原告に対し、当座預金合計金四十六万四千六百三円およびこれに対する本件訴状送達の翌日たること記録上明らかなる昭和三十六年十一月十二日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものというべきである。

以上の理由により、原告の被告に対する本訴請求はすべて理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言につき、同法第百九十六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 奥村義雄)

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